社長業をどのように表現していいかわからないが、とにかく管理職っていうのは忙しかった。

まったくもって自分の研究とか、作業ができない職種で特別な仕事を持たずに管理するだけだから、あいてる時間は

どこかにあるだろう、という錯覚に陥ってしまいがち。


本当に今、目の前が忙しいのに、明日になれば落ち着いているはず、「なにしろ今は突発事項を片付けてるんだからね!」という理由に明日を見て毎日忙しい職種だった。


きっとうまくやる人ほど時間はうまく使えるのでしょう。毎日でてくる突発事項に追われて結局毎日忙しい。人数が増えれば増えるほど突発事項は起こる。


つまらない例から重篤な問題まで大小様々織り交ぜてたくさんある、PCが壊れた、HDDの空き容量が少ない、グラボの性能が悪い、誰々くんが来ない工数が足りない、お客さんが初めと違うことを言い出した、プログラムのここがわからない、病気になった、この書類は誰に出せばいいんですか、この会社のルールはどちらが正しいんですか、仕様が決まらない、スケジュールをはみ出してる、月末になったのに入金がないなど。


ここに自分の作品作りにこだわりがでてくるともっと面倒になる。

面白いところや綺麗なところ、簡単に言うと自分の趣味と異なるゲーム開発を察知してしまった場合は、なぜそうなったか話を聞くところと自身の希望を説明することと、そうすると工数が足りなくなること、なんで最初に質問してくれないんだ、どうして最初に言ってくれなかったんですか、というやりとりから、落とし所を見つける作業に半日は費やす。


もちろん、よくデキる人にこんな間違いはないのかもしれないが、僕にはあった。


そもそも大会社じゃないから、人数10人ほどで始めたこの会社に稼げる要素や仕組みなど用意されているわけじゃなかった。役割を持った各担当がそれぞれの仕事をする。というよりは、僕が作ってソフトを納品する、といういつもやってきた開発を、みんなに手伝ってもらって、もっと大きなものを作る、とか、もっとたくさん作る、とかそういう仕事の仕方になる。


何しろワンマン経営である、他の人の話を聞いて失敗した時に責任を取らなくてはならないのは自分だ。自分の趣味と違うゲームのあり方を認めるべきか、そうでないかは実は悩む余地はない。「なんで他人の失敗で、自分がお金を浪費せねばならないのか?」をかんがえると、その責任転嫁に意味がないことはわかるはずだ。人の意見を聞いて失敗するよりも自分で決めたやり方で失敗した時の方が納得がいくのである。


だから仕事の仕方としても、僕の知ってること以上には危険予測ができないし、僕の知るお金の管理なんていうのは家計を垣間見て知りうる程度の知識しかなく、「経営する」なんていうよくわからない言葉に飲み込まれている暇もなかった。ただ単純に、毎月給与として払うために必要なお金を外から集めてくる。お金を集めるために1ヶ月前にゲームを完成させる。ゲームを完成させきる前に次の仕事の目処をつける、これが一連のサイクルとなる。1つ歯車が狂ってもショートしてしまう、いわゆる自転車操業で、それゆえわかりやすい。


でもこのような僕の知りうる知識で仕事を回していくと、僕の知りうる大きさでしか会社は大きくなれない。自分の感性が腐っている自覚があるなら、さっさと信用できる開発者を横に付けるべきなのでしょうし、金勘定ができる自信がなければ会計士を横に付けるべきで、どうあれ「何かが足りない」状況だと、お金で解決するか、縁をたどるしかなく、ほっておくと自分の首が締まる。



そうこうしているうちに5年が過ぎ、なぜか職を失って、ふと手を見てみると自家製C++ライブラリとWindows環境しか残ってなかった。あれ?世の中はスマホだとか、C#も見ておけとか、Unityだとかアンリアルだとか自分で言ってたのに?あれ?なんでそうやってきた僕は何も持ちあわせていないんだろう???再就職するにも、「Cだけできます」では今の状況についていけるはずがない。


「これからどうしよう」というのと「次は何しようかな」という気持ちが交互に現れてくる。元来僕は勉強は全くできなかった。子供の頃はとにかくプログラムが面白くて楽しくて、授業のノートには家に帰ったら打ち込むべきプログラムの設計やコードばかり落書きしていた。そんな僕が「ハナをつまみながら」仕事をしてもうまくいくわけがないので、今更お金を稼ぎに行くだけの仕事をしても、きっと学生時代の時のような落ちこぼれになるだけなのが想像に難くない。


だから僕が参考にすべきは、好きなことだけを追いかけてきた結果「与えること」を先にすれば、後から、ゲームも人もお金も付いてきたという事実である、事実に基づいて、また与えられる「何か」を作り出すことで「将来」に結びつくのであれば。

学生時代のプログラムと数学や物理も結びついてくれれば、きっともう少し成績は良くなったかもしれない。