「厨購横浜ゼロノス」は、2015年末に株式会社オバキュー(仮)から発売される
2Dのロボットアクションゲームである。
ゼロノス自体は、1990年に発売されたメガドライブのロボアクションで
この続編が「厨購横浜ヴァレルゲン」として1994年に発売されていた。
僕は、このヴァレルゲンが本当に好きで好きでたまらなかった。
このヴァレルゲンとの出会いはホテルに設置されているスーパーファミコンでゲームが5種からセレクトできるものの1つで、このゲームのオープニングと近未来感、ロボットの挙動と、醸しだす演出に今までこのゲームを見逃していた愚を悔いた。
時は流れ2004年。そのゲームはリメイクされるという。
シューティングゲーム業界の雄「彩京」がリメイクするという、発売元はクロノスーツ。聞いたことないが、彩京が作るなら安心である。しかし、反対に僕の気持ちは荒れていた。
「このマイナーなヴァレルゲンをいつか大舞台に引き出してリメイクしよう!」と思ってプログラマになったのに誰かに先を越されていたこの事実!正直大ショックだった。片思いの子に振られた気持ちとまったく同じだった。でも考えて見れば見るほど当然でもあった。
「こんなにできの良い、器量よしのヴァレルゲンさんをみんなが黙って放って置くわけがない」
自分がADVゲーム開発なんかでちんたら腕を磨いている間に出し抜かれたマヌケさを心底恨んだ。
そして、今の嫁になる時の彼女に誕生日プレゼントとして買ってもらうことにした。
なぜなら、SFC版のヴァレルゲンは5年ほど前に付き合った別の娘に買ってもらっていたもので、それを後生大事にすることは、今の彼女に申し訳ない気持ちがあったから、その宝物をPS2版に変えようと思っていた。
くったくのない笑顔で誕生日用にラッピングされたPS2版の「それ」をさっそくDVDドライブに突っ込む「あの彩京が!」「あのヴァレルゲンが!」「2Dで!」「どんな魔法を見せてくれるんだーーー!」
「・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
正直自分でもよくわからない衝撃に包み込まれた。
「どうしてこうなったんだ?」
「あれ?オープニングは?」
「このふがいないゼロ面はなに?」
「あのストライカーズの彩京?ですよね・・・?」
色んな思いが交錯する。そして「面白くない、カッコ悪い」と思う自分の感性が信じられなくて
2chの該当掲示板を開いてみた。
「やはり・・」
間違ってなかった。ヴァレルゲンのファンは荒れていた。大いに荒れていた。
しかし、僕はこのヴァレルゲンの悪口をいうことはできなかった。
なぜなら嫁が全く悪気なく(しかも僕が頼んで)プレゼントしてくれたものだからだ。
この「アレルゲソ」は認める訳にはいかない。しかし彼女がくれたプレゼントを冒涜するわけにも
いかない。この葛藤に2時間苦しんだ後、感謝の気持ちを込めてもう一度お礼を言った後、
プレゼントを買い取ることにした。
というより、プレゼントをなかったコトにして、お使いに行ってもらったことにした。
そして、もう一度2chを見る。すごい。すごい罵倒だ。
DVDを割った画像も出てくる。だんだん過激になってくるヴァレルゲン祭りの中で、私自身も
「お前たちはもう2度とゲームを作らないでください」というシンプルなファンレターを書いた。
後にこれを作った会社の社長と話をする機会があったが「あの時は本当に怖かった」らしい。
もともとがゲーム開発よりの人ではないので真に受けすぎなんだと思うが「夜道に気をつけろ」とか
「襲撃してやる」っていう当時でいうと少しやんちゃなファンレター、今で言う殺害予告に本当に恐れていたらしい。
そんななか「D.Jそぅび」とか「D.J.PIUQE」なる人物が「アレンジとはこうあるべき!」といった
楽曲のアレンジを2chに投下しだした。これは、初めて聞く「ヴァレルゲン」のアレンジである。
びっくりするくらいにかっこよかった。
そうだよ、これが聞きたかったんだよ!
感動した。PS2版に少しでも、この情熱があれば。。。
僕は、そのBGMをバックに闘う簡単なシューティングを作って、2chに投下してみた。
評判が良かった。PS2版で乾ききっていた喉はどんなものでも受け入れてくれる準備が整っていたのだと思う。
その後は、加速度的に進行した。「ヴァレルゲンⅡ」を作ることを目指して名付けた「VIIプロジェクト」として、マップの当たり判定、重力、ローラーダッシュや、背景仮絵なんかを追加してどんどん2chに投下した。
そんな折「ここはヴァレルゲンだけのスレッドじゃない」「ゼロノスのスレッドでもあるからヴァレルゲン制作は別でやってくれ」という提案が出て別スレッドに移動。当時からゼロノス派のやや閉鎖的というか、少々ネガティブな思考とは対立する趣もあり実は2015年までこの重圧には苦しむことになる。
しかしこの重圧から逃れた「VII」はPS2版で疲弊していた2ch住民とともに盛り上がってくれて、「銃装機兵ガンヴァレルゲン」として存続し、いわゆる2chの神が僕が仮絵として作ったものを今で言うMOD感覚で自機の絵や、敵の絵や、マップ、当たり判定、効果音などをどんどんいいものに作り変えて投下してくれた。
たくさんの2ch住人がチェッカーとしてプレイしてくれるおかげでバグ取りの楽しさも知った。
僕自信も神扱いされて気分よく超ハイテンションで、会社もやめて、ついに最終面まで出来上がった。
僕はこの時、システムクラスタという小さなゲームデベロッパーでプログラマをしていた。
アーケード用6ボタンの対戦格闘ゲームのドリームキャストへの移植とか、NESなんとかちゃんねるっていう会社のつくるアドベンチャーゲームの一部を担うプロのプログラマだったけど、自分の設計で周りの人に素材を描いてもらう責任感というか、うまくいった時の疾走感というか、この感覚が面白くてVIIはやめられなかった。
そしてその目に見えないつながりというか、そのつながりの先にいるのは間違いなく別のプロで会社という枠を超えて「ガンヴァレルゲン」でコラボする豪華さによだれが出た。
ファンレターも届いた。その人の名前は「五十嵐xxx」って書いてあった。
元ヴァレルゲンの開発者らしい。スタッフロールを穴の開くほど見てコピーしてきた僕が知らないスタッフ名なので多分偽名だ。今のPS2の惨状も知り、かつ元開発者の意思を受け継いで今盛り上がってくれることを嬉しく思うと書いてあった。
正直、これは嬉しかった。クローンゲームというのは、オリジナルに対する自分勝手な解釈を含むことも多々あり
ある意味冒涜することにもなりかねない。そこを(もしかしたら違うのかもしれないけど)元開発者と名乗る人が
僕のプロジェクトを気持ち的に後押ししてくれていることに勇気が出た。あとは、この版権を持つ人達が怖いところであるが、色々あって2015年現在、ヴァレルゲンの版権を持つ人たちと会うことができ、身勝手な行動を正式に謝罪した結果
「自分たちで作れないものを本当に好きな人達によるファンメイドで盛り上げていってもらえる、これからの作り方に期待している」
と、そういう趣旨の応援をもらうことができた。なにをかくそうこれを言ってくれたのはあの元クロノスーツの社長である、殺害予告メールに恐れていた、PS2版の開発元のあの社長である。あの社長が「ガンヴァレルゲン」を認めてくれた上に、「ゼロノス」のPS4への移植まで許可を出してくれた。PS4への移植については極めてビジネスライクな側面もあるが通常なら許可をだせなかった、というのをだいぶ後になってから聞いた。
なぜならあのソフトのファンによる凶行が怖いので、下手な移植をすると僕自身が怪我をすることを案じているようで、僕がVIIの作者だから(下手な移植はないかもしれない、と)許可を出してくれたらしい。それを後押ししてくれたのが、同社に在籍するSさんなんだけれどもSさん自身が「五十嵐さん」だったのかもしれない。
まあだからといって調子に乗るわけにも行かないが、そういう理由で今の「VII ガンヴァレルゲン」は、アンダーグラウンドだった存在がひょんなことから公式に黙認されたソフトになっている、
この「ガンヴァレルゲン」は今にして思えば大チャンスだった。PS2版を彩京が創るのと僕が創る。この圧倒的な力量差は、たとえが古いがボブサップと北尾光司くらい違う、いや北尾の方 がすごいか。そのボブサップがリングに上った後に滑って骨折したのである。観衆はすでに東京ドームに集まっている。その衆目が監視する中で動き始めた VIIには本当にヴァレルゲンが好きな人たちが集まっていて、貴重な意見が泉のように溢れ出てくる。ヴァレルゲンを創るには、こうあるべきだ、PS2版は ここがダメだった!と言った具合に、僕が将来やりたかったことの注意点が教科書のように情報として湯水のように溢れ出てくるのである。
その後、時の2chの神の一人が僕の立ち上げる会社「オバキュー」で作った「偽装傭兵ガンラウンド」をPSPで発売するのに協力してくれたり、この時のノウハウが、僕の30代~40代前半のエンジンになって「くじらソフト」を立ち上げることになったりと、とてもめまぐるしい7年が始まった。
※にたようなプロジェクトがあったので貼っておきます
2Dのロボットアクションゲームである。
ゼロノス自体は、1990年に発売されたメガドライブのロボアクションで
この続編が「厨購横浜ヴァレルゲン」として1994年に発売されていた。
僕は、このヴァレルゲンが本当に好きで好きでたまらなかった。
このヴァレルゲンとの出会いはホテルに設置されているスーパーファミコンでゲームが5種からセレクトできるものの1つで、このゲームのオープニングと近未来感、ロボットの挙動と、醸しだす演出に今までこのゲームを見逃していた愚を悔いた。
時は流れ2004年。そのゲームはリメイクされるという。
シューティングゲーム業界の雄「彩京」がリメイクするという、発売元はクロノスーツ。聞いたことないが、彩京が作るなら安心である。しかし、反対に僕の気持ちは荒れていた。
「このマイナーなヴァレルゲンをいつか大舞台に引き出してリメイクしよう!」と思ってプログラマになったのに誰かに先を越されていたこの事実!正直大ショックだった。片思いの子に振られた気持ちとまったく同じだった。でも考えて見れば見るほど当然でもあった。
「こんなにできの良い、器量よしのヴァレルゲンさんをみんなが黙って放って置くわけがない」
自分がADVゲーム開発なんかでちんたら腕を磨いている間に出し抜かれたマヌケさを心底恨んだ。
そして、今の嫁になる時の彼女に誕生日プレゼントとして買ってもらうことにした。
なぜなら、SFC版のヴァレルゲンは5年ほど前に付き合った別の娘に買ってもらっていたもので、それを後生大事にすることは、今の彼女に申し訳ない気持ちがあったから、その宝物をPS2版に変えようと思っていた。
くったくのない笑顔で誕生日用にラッピングされたPS2版の「それ」をさっそくDVDドライブに突っ込む「あの彩京が!」「あのヴァレルゲンが!」「2Dで!」「どんな魔法を見せてくれるんだーーー!」
「・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
正直自分でもよくわからない衝撃に包み込まれた。
「どうしてこうなったんだ?」
「あれ?オープニングは?」
「このふがいないゼロ面はなに?」
「あのストライカーズの彩京?ですよね・・・?」
色んな思いが交錯する。そして「面白くない、カッコ悪い」と思う自分の感性が信じられなくて
2chの該当掲示板を開いてみた。
「やはり・・」
間違ってなかった。ヴァレルゲンのファンは荒れていた。大いに荒れていた。
しかし、僕はこのヴァレルゲンの悪口をいうことはできなかった。
なぜなら嫁が全く悪気なく(しかも僕が頼んで)プレゼントしてくれたものだからだ。
この「アレルゲソ」は認める訳にはいかない。しかし彼女がくれたプレゼントを冒涜するわけにも
いかない。この葛藤に2時間苦しんだ後、感謝の気持ちを込めてもう一度お礼を言った後、
プレゼントを買い取ることにした。
というより、プレゼントをなかったコトにして、お使いに行ってもらったことにした。
そして、もう一度2chを見る。すごい。すごい罵倒だ。
DVDを割った画像も出てくる。だんだん過激になってくるヴァレルゲン祭りの中で、私自身も
「お前たちはもう2度とゲームを作らないでください」というシンプルなファンレターを書いた。
後にこれを作った会社の社長と話をする機会があったが「あの時は本当に怖かった」らしい。
もともとがゲーム開発よりの人ではないので真に受けすぎなんだと思うが「夜道に気をつけろ」とか
「襲撃してやる」っていう当時でいうと少しやんちゃなファンレター、今で言う殺害予告に本当に恐れていたらしい。
そんななか「D.Jそぅび」とか「D.J.PIUQE」なる人物が「アレンジとはこうあるべき!」といった
楽曲のアレンジを2chに投下しだした。これは、初めて聞く「ヴァレルゲン」のアレンジである。
びっくりするくらいにかっこよかった。
そうだよ、これが聞きたかったんだよ!
感動した。PS2版に少しでも、この情熱があれば。。。
僕は、そのBGMをバックに闘う簡単なシューティングを作って、2chに投下してみた。
評判が良かった。PS2版で乾ききっていた喉はどんなものでも受け入れてくれる準備が整っていたのだと思う。
その後は、加速度的に進行した。「ヴァレルゲンⅡ」を作ることを目指して名付けた「VIIプロジェクト」として、マップの当たり判定、重力、ローラーダッシュや、背景仮絵なんかを追加してどんどん2chに投下した。
そんな折「ここはヴァレルゲンだけのスレッドじゃない」「ゼロノスのスレッドでもあるからヴァレルゲン制作は別でやってくれ」という提案が出て別スレッドに移動。当時からゼロノス派のやや閉鎖的というか、少々ネガティブな思考とは対立する趣もあり実は2015年までこの重圧には苦しむことになる。
しかしこの重圧から逃れた「VII」はPS2版で疲弊していた2ch住民とともに盛り上がってくれて、「銃装機兵ガンヴァレルゲン」として存続し、いわゆる2chの神が僕が仮絵として作ったものを今で言うMOD感覚で自機の絵や、敵の絵や、マップ、当たり判定、効果音などをどんどんいいものに作り変えて投下してくれた。
たくさんの2ch住人がチェッカーとしてプレイしてくれるおかげでバグ取りの楽しさも知った。
僕自信も神扱いされて気分よく超ハイテンションで、会社もやめて、ついに最終面まで出来上がった。
僕はこの時、システムクラスタという小さなゲームデベロッパーでプログラマをしていた。
アーケード用6ボタンの対戦格闘ゲームのドリームキャストへの移植とか、NESなんとかちゃんねるっていう会社のつくるアドベンチャーゲームの一部を担うプロのプログラマだったけど、自分の設計で周りの人に素材を描いてもらう責任感というか、うまくいった時の疾走感というか、この感覚が面白くてVIIはやめられなかった。
そしてその目に見えないつながりというか、そのつながりの先にいるのは間違いなく別のプロで会社という枠を超えて「ガンヴァレルゲン」でコラボする豪華さによだれが出た。
ファンレターも届いた。その人の名前は「五十嵐xxx」って書いてあった。
元ヴァレルゲンの開発者らしい。スタッフロールを穴の開くほど見てコピーしてきた僕が知らないスタッフ名なので多分偽名だ。今のPS2の惨状も知り、かつ元開発者の意思を受け継いで今盛り上がってくれることを嬉しく思うと書いてあった。
正直、これは嬉しかった。クローンゲームというのは、オリジナルに対する自分勝手な解釈を含むことも多々あり
ある意味冒涜することにもなりかねない。そこを(もしかしたら違うのかもしれないけど)元開発者と名乗る人が
僕のプロジェクトを気持ち的に後押ししてくれていることに勇気が出た。あとは、この版権を持つ人達が怖いところであるが、色々あって2015年現在、ヴァレルゲンの版権を持つ人たちと会うことができ、身勝手な行動を正式に謝罪した結果
「自分たちで作れないものを本当に好きな人達によるファンメイドで盛り上げていってもらえる、これからの作り方に期待している」
と、そういう趣旨の応援をもらうことができた。なにをかくそうこれを言ってくれたのはあの元クロノスーツの社長である、殺害予告メールに恐れていた、PS2版の開発元のあの社長である。あの社長が「ガンヴァレルゲン」を認めてくれた上に、「ゼロノス」のPS4への移植まで許可を出してくれた。PS4への移植については極めてビジネスライクな側面もあるが通常なら許可をだせなかった、というのをだいぶ後になってから聞いた。
なぜならあのソフトのファンによる凶行が怖いので、下手な移植をすると僕自身が怪我をすることを案じているようで、僕がVIIの作者だから(下手な移植はないかもしれない、と)許可を出してくれたらしい。それを後押ししてくれたのが、同社に在籍するSさんなんだけれどもSさん自身が「五十嵐さん」だったのかもしれない。
まあだからといって調子に乗るわけにも行かないが、そういう理由で今の「VII ガンヴァレルゲン」は、アンダーグラウンドだった存在がひょんなことから公式に黙認されたソフトになっている、
この「ガンヴァレルゲン」は今にして思えば大チャンスだった。PS2版を彩京が創るのと僕が創る。この圧倒的な力量差は、たとえが古いがボブサップと北尾光司くらい違う、いや北尾の方 がすごいか。そのボブサップがリングに上った後に滑って骨折したのである。観衆はすでに東京ドームに集まっている。その衆目が監視する中で動き始めた VIIには本当にヴァレルゲンが好きな人たちが集まっていて、貴重な意見が泉のように溢れ出てくる。ヴァレルゲンを創るには、こうあるべきだ、PS2版は ここがダメだった!と言った具合に、僕が将来やりたかったことの注意点が教科書のように情報として湯水のように溢れ出てくるのである。
その後、時の2chの神の一人が僕の立ち上げる会社「オバキュー」で作った「偽装傭兵ガンラウンド」をPSPで発売するのに協力してくれたり、この時のノウハウが、僕の30代~40代前半のエンジンになって「くじらソフト」を立ち上げることになったりと、とてもめまぐるしい7年が始まった。
※にたようなプロジェクトがあったので貼っておきます
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