横浜でのワークスのプログラム作業を3つ分請けて、それまでなんとか終電ペースで作り込みを追いつかせていた僕だったので、プロジェクトにおける信用は確実に石橋くんよりも稼いでいる自負はあったし、上下関係をつけるとしたら勝ったつもりでいた。しかし、このプロジェクトが末期に至った時立場は完全に逆転した。

デバッグのフェーズに入ると当然バグも3つ分出る。石橋くんはメインがナウローディングだけなのでほとんどバグらない。僕の忙しさにかまけて作り込みが甘かったプログラムはバグの出具合も半端なくバグの名産地と化していた。最終的に僕の担当になるバグシートが多すぎて手が回らなくなって追いつかなくなった。1つのバグに費やす時間が短くなり、その対応の精度の低さからまたバグが増える悪循環により僕は破綻していた。

そもそも僕がプログラムをたくさん受けるきっかけになったのは、ワークスのディレクターが「誰か作業を引き受けられる人はいませんか?」と言ってプログラム作業できる人を探してて片っ端から声をかけていたのに100人ほどもいる開発員の誰も手を上げないところに不義理を感じて、少々無理をして手を上げてしまったのが始まりだった。このとき勘違いしたのが、ディレクターはプログラム作業をできる人を探してはいたが、別に困っていたわけではなかったことである。

僕の貧乏性的な考え方では、この作業のために、また1人プログラマを雇うとすると、ワークスはさらに「60万円」かかってしまう、と考えた。しかし僕が頑張ることで60万円かけなくて済むのではないか、とも考えた。60万円は大金である。100円の寿司が6000皿も食べられる。1回に20皿食べるとすると300回お店に行ける。お嫁さんと2人で行くなら、1年間に3日に一度は回転ずしを食べに行ける、しかも2人で、凄い、60万円って凄い!

きっと感謝してもらえるはずだ、と思って快くいい顔をして、しかもいい声で返事した。しかし僕は破綻した。あと1人ワークスが60万円かけて人を雇っていたら破綻しなかった。僕は60万円という大金をディレクターに出させることを憂慮したが、この100人規模のプロジェクトにおける100万円がいかにちっぽけなものであるか、は最後に出来上がった説明書とスタッフロールの長さを見て充分に理解した。

少なくとも開発員だけでも100人いるということは、60万円x100人分の合計6000万円が「毎月」かかっているのである。それを1年続けることは少なくとも7億2000万円程度のプロジェクト予算は想像に難くない。さらに販売に関わる人や、宣伝に関わる人の人件費や、制作プロデューサーや、メインプログラマ(※1)の報酬は(外注契約で)毎月120万円以上と聞いた。さらに邪推すると社員の人月単価も60万円では済まないだろう。指紋認証とかそういうのがついてる立派なビルである。そう考えると少なくとも8億円以上かけて作られているプロジェクトの60万円っていうのは実に予算の0.075%に過ぎないことがわかった。3日に1度の回寿司を嫁と1年食べ放題に食べても全予算の0.1%未満なんである。



※1・・・メインプログラマー・・・過去にセガのバーチャなんとかっていう対戦格闘を作っていた3Dの第一人者。すごい人だった。口もすごい人だったが圧倒的な技術がそれを凌駕していた

愕然とした。60万円を得させてあげることなんかより、自分の与えられたプログラムをきっちり確実に終わらせることの重要性をはっきりと、痛いくらいに思い知った。0.1%未満の予算をケチって発売日を延ばしてしまうことの怖さ、8億円のゲームソフトの発売日を延ばして落胆させるユーザーの数、この仕事を発注したアメリカの会社から失うワークスの信用の重さに恐怖した。60万円が0.1%未満の予算になるようなプロジェクトが「ある」ことを知ってはいたが、実感したのは初めてだった。

結局、ナウローディングを専業で作っていた石橋くんが僕を見るに見かねて、バグ取りを手伝ってくれた。彼にも無理をさせていたら、この被害は吸収しきれず僕の失敗をリカバーしてくれる余裕はどこにもなかったと思う。ワークスのディレクターは100人規模の開発だけれども、一人一人の名前はもちろん、各担当の性格から技量などをよく覚えていて、それぞれをお昼ご飯に誘ったりして、実に人をよく見てプロジェクトを回すエリートタイプの人ゆえ、僕が落とした信用について、みのがせるほどずぼらな人ではなかった。