UnrealEngine4研究所

UnrealEngine4の研究/開発をしてます。ガルルソフトウェア研究所です。

くじらソフト

社長業ってなんだろう

社長業をどのように表現していいかわからないが、とにかく管理職っていうのは忙しかった。

まったくもって自分の研究とか、作業ができない職種で特別な仕事を持たずに管理するだけだから、あいてる時間は

どこかにあるだろう、という錯覚に陥ってしまいがち。


本当に今、目の前が忙しいのに、明日になれば落ち着いているはず、「なにしろ今は突発事項を片付けてるんだからね!」という理由に明日を見て毎日忙しい職種だった。


きっとうまくやる人ほど時間はうまく使えるのでしょう。毎日でてくる突発事項に追われて結局毎日忙しい。人数が増えれば増えるほど突発事項は起こる。


つまらない例から重篤な問題まで大小様々織り交ぜてたくさんある、PCが壊れた、HDDの空き容量が少ない、グラボの性能が悪い、誰々くんが来ない工数が足りない、お客さんが初めと違うことを言い出した、プログラムのここがわからない、病気になった、この書類は誰に出せばいいんですか、この会社のルールはどちらが正しいんですか、仕様が決まらない、スケジュールをはみ出してる、月末になったのに入金がないなど。


ここに自分の作品作りにこだわりがでてくるともっと面倒になる。

面白いところや綺麗なところ、簡単に言うと自分の趣味と異なるゲーム開発を察知してしまった場合は、なぜそうなったか話を聞くところと自身の希望を説明することと、そうすると工数が足りなくなること、なんで最初に質問してくれないんだ、どうして最初に言ってくれなかったんですか、というやりとりから、落とし所を見つける作業に半日は費やす。


もちろん、よくデキる人にこんな間違いはないのかもしれないが、僕にはあった。


そもそも大会社じゃないから、人数10人ほどで始めたこの会社に稼げる要素や仕組みなど用意されているわけじゃなかった。役割を持った各担当がそれぞれの仕事をする。というよりは、僕が作ってソフトを納品する、といういつもやってきた開発を、みんなに手伝ってもらって、もっと大きなものを作る、とか、もっとたくさん作る、とかそういう仕事の仕方になる。


何しろワンマン経営である、他の人の話を聞いて失敗した時に責任を取らなくてはならないのは自分だ。自分の趣味と違うゲームのあり方を認めるべきか、そうでないかは実は悩む余地はない。「なんで他人の失敗で、自分がお金を浪費せねばならないのか?」をかんがえると、その責任転嫁に意味がないことはわかるはずだ。人の意見を聞いて失敗するよりも自分で決めたやり方で失敗した時の方が納得がいくのである。


だから仕事の仕方としても、僕の知ってること以上には危険予測ができないし、僕の知るお金の管理なんていうのは家計を垣間見て知りうる程度の知識しかなく、「経営する」なんていうよくわからない言葉に飲み込まれている暇もなかった。ただ単純に、毎月給与として払うために必要なお金を外から集めてくる。お金を集めるために1ヶ月前にゲームを完成させる。ゲームを完成させきる前に次の仕事の目処をつける、これが一連のサイクルとなる。1つ歯車が狂ってもショートしてしまう、いわゆる自転車操業で、それゆえわかりやすい。


でもこのような僕の知りうる知識で仕事を回していくと、僕の知りうる大きさでしか会社は大きくなれない。自分の感性が腐っている自覚があるなら、さっさと信用できる開発者を横に付けるべきなのでしょうし、金勘定ができる自信がなければ会計士を横に付けるべきで、どうあれ「何かが足りない」状況だと、お金で解決するか、縁をたどるしかなく、ほっておくと自分の首が締まる。



そうこうしているうちに5年が過ぎ、なぜか職を失って、ふと手を見てみると自家製C++ライブラリとWindows環境しか残ってなかった。あれ?世の中はスマホだとか、C#も見ておけとか、Unityだとかアンリアルだとか自分で言ってたのに?あれ?なんでそうやってきた僕は何も持ちあわせていないんだろう???再就職するにも、「Cだけできます」では今の状況についていけるはずがない。


「これからどうしよう」というのと「次は何しようかな」という気持ちが交互に現れてくる。元来僕は勉強は全くできなかった。子供の頃はとにかくプログラムが面白くて楽しくて、授業のノートには家に帰ったら打ち込むべきプログラムの設計やコードばかり落書きしていた。そんな僕が「ハナをつまみながら」仕事をしてもうまくいくわけがないので、今更お金を稼ぎに行くだけの仕事をしても、きっと学生時代の時のような落ちこぼれになるだけなのが想像に難くない。


だから僕が参考にすべきは、好きなことだけを追いかけてきた結果「与えること」を先にすれば、後から、ゲームも人もお金も付いてきたという事実である、事実に基づいて、また与えられる「何か」を作り出すことで「将来」に結びつくのであれば。

学生時代のプログラムと数学や物理も結びついてくれれば、きっともう少し成績は良くなったかもしれない。

開発者のお値段

一般的にゲームを作るとなると、小さいアプリで500万~、中規模で1500万円、大きいのは大きさによるので、一概にこれくらいとは言えないのだけれども、クジラソフトでは最も大きいもので総額3000万円くらいの規模だった。開発では500万円もらえれば人月単価60万円の開発者を約8ヶ月使用可能である。どんな人材がどんな値段で存在するのだろうか。見てみよう。





【一般】

まず【一般】として自社の社員や、他の会社さんから人材を貸し借りする場合の費用。相場は人月単価が60万円程度。スキルにもよるが知り合いの会社から空いている人を借りてくるイメージ。会社同士の付き合いと信用が必要。


プログラマー

・メインプログラマー(時価)

・一般プログラマー 60万円


出向ベース労働時間に(事実上)縛りなし


■グラフィッカー

・グラフィッカー2D専門  45~60万円

・グラフィッカー3D専門  50~60万円

・グラフィッカー(2D/3D)45~60万円



プランナー

・プランナー(データ作成) 30~60万円

・プランナー(仕様書策定) 45~60万円

・プランナー(自由な企画書)0万円~


※その他の人材としてデバッグを行うチェッカーさんがいたり、管理職もなくはない。しかし自社のお金を司る役目や、開発の工程を見守るのによっぽど名の売れた人材かそういう経歴を持った人でない限り外注として採用される例は少ない。「もともとその会社の人で独立した人」など信用関係による。


・プロデューサー 60万円~(あまり聞かない)

・ディレクター  60万円~(あまり聞かない)

・チェッカー(デバッグ会社)(35万円~)

 ※1人、1日16000円程度



【フリー枠】

次に【フリー枠】として紹介。以前付き合いのあった人や、会社を辞めて一人で仕事をしている人などを雇用する場合。経費がかからないので、各種保険を加味したサラリーマンの総支給+αといったところでざっくり言うと30万円程度が相場。


・フリープログラマー    (35~45万円)

・フリーグラフィッカー2D (25~45万円)

・フリープランナー     (25~45万円)

・チェッカー(アルバイト) (15万円~)



【インターン枠】

その他【インターン枠】専門学校と付き合いがあれば就職間近になった学生の職場体験として1ヶ月程度の労働力を「無料」で借り受けることができる。ただし、技量も経験もそれなりに「ない」ので「きちんと教えてあげられない」のであれば、お互いに辛いことになる。予算がカツカツの現場では貴重な労働力となっている。クジラでは定時を超える作業については、時間延長分をアルバイト代で換算することにしていた。


・プログラマー(インターン) 0万円+交通費

・グラフィッカー(インターン)0万円+交通費

・プランナー(インターン)  0万円+交通費

・チェッカー(インターン)  0万円+交通費



どうだろうか。ざっくりと紹介してこれくらいの予算感である、この他にも人材派遣や、人材紹介を利用するといった方法もある。自分の給与と比べてみて、ウサインソフトのような乱暴な値段付けがされていないだろうか、よく考えてみてほしい。気をつけなくてはいけないのは「相場は60万円だけど俺の給与は30万円を切っている、ひどい!」という勘違いだ。私の知っている範囲で言えば給与の平均は25~35万である。人月単価と給与は違う。注意されたし。

暗礁に乗り上げて方向転換

横浜でのプログラム作業は終わることになってしまった。このために引っ越してきて立ち上げたオバキューだったがいきなり暗礁に乗り上げ た。しかしこのプロジェクトの継続を打ち切られる際、僕の結婚式に来てくれた関西ワークス本社の役員と、その時のプロジェクトリーダーが、この状況を救ってく れた。代わりにコンシューマゲームのプロジェクトを立ち上げ、外注を操るそのディレクションの仕事を用意してくれるという。アウトソーシングというやつら しい。とはいえ、その仕事が用意されているわけでも、どこかから降ってくるわけでもないので、仕事を作るところから一緒にやらせてくれることになる。石橋 くんにはネットワーク系のゲームライブラリのプログラム仕事をあてがってくれた。これはまた別の話としてどこかで書いていきたいが、最終的に信用を大きく 落として僕は仕事を失った。残念ながら手伝ってくれた石橋くんも巻き込んで担当から外れることになってしまった。関西での徹夜上等での作業や根性論という ものが全く機能しなかった。

少ない人数で無理やり作り出す小さいプロジェクトに必要な根性と信用は、大きなプロジェクトで部品になりきることができた後に 役に立つことはあるかもしれないが、部品にもなれないやつがすることではなかった。これは過去10年やってきた小規模開発(※2)しか見たことのなかった僕にとっては全く未知の世界で、プログラムができることと仕事ができることは全然別のことだと思い知った。

し かし、関西ワークス社のお仕事のつながりで新しい仕事に隙間なくつなげてもらえたことで月間110万円の売り上げだけは確保できた。なんとかこれをあと2年つないでいくことができれば「夢の自社タイトル」に挑戦することができる。あと2年、もう失敗は許されないところに来ていた。




ウサギさん・コンシューマソフトウェア

ワークスに一緒に出向に来ていたメンバーに関西のウサギさん・コンシューマソフトウェアという会社から来たメンバーが6人ほどいた。
実は僕の後輩の前職もこのウサギさんソ フ トだったんだけれども、この会社のすごいところは毎月の給与が3万円だったことである。たいていのメンバーは1年たらずでやめていくらしいが、2年勤めた 強力な(給与5万円の)先輩の圧政に苦しんで、みんな積極的に出向にでたがるらしい。このメンバ−6人には横浜での住居もあてがわれていたが2LDKの ウィークリーマンション1部屋に6人が突っ込まれていた。タコ部屋である。なんでも社長の借金がすごくてみんなで返しているらしい、関西での住処はルーム シェアらしかった。それでも技術はそれなりに高く、ハードウェア周りの知識もそれなりにありこの悪環境の中で知見を深めたことに驚かされる。 
 

こ の人たちの手取りを考えてみる。社会保険等はなく、個人で健康保険を払っていたらしい。交通費もなく家に帰れない状況で途方にくれて退職を決意した、と後 輩はいっていたのでおそらく交通費もない。勘定科目をどのような名目で計上していたか知らないが、おそらく原価は多くても5万円程度だろう。そうすると、 ウサギさんの粗利は55万円となる、すごい!6人来ているので1ヶ月に330万円の粗利!!!

半年続けると実に2000万円弱の利益にな る。せめて一人ずつ部屋を借りてやれよ・・・。一体どうやって技術者をだまくらかしてそんな会社を作り出せたのか社長にインタビューしてみたくなる。この 方法だと3ヶ月でオバキューの目的を達成できてしまう。しかし人はどんどん辞めていくが、逆に言うといなくなるので変なあとくされもない。これで労基署が活躍できてないことも不思議だが、こういうビジネスにはみなさんくれぐれもお気をつけください。この会社はまだあるよ。

 

ナウローディングのプログラマー3


横浜でのワークスのプログラム作業を3つ分請けて、それまでなんとか終電ペースで作り込みを追いつかせていた僕だったので、プロジェクトにおける信用は確実に石橋くんよりも稼いでいる自負はあったし、上下関係をつけるとしたら勝ったつもりでいた。しかし、このプロジェクトが末期に至った時立場は完全に逆転した。

デバッグのフェーズに入ると当然バグも3つ分出る。石橋くんはメインがナウローディングだけなのでほとんどバグらない。僕の忙しさにかまけて作り込みが甘かったプログラムはバグの出具合も半端なくバグの名産地と化していた。最終的に僕の担当になるバグシートが多すぎて手が回らなくなって追いつかなくなった。1つのバグに費やす時間が短くなり、その対応の精度の低さからまたバグが増える悪循環により僕は破綻していた。

そもそも僕がプログラムをたくさん受けるきっかけになったのは、ワークスのディレクターが「誰か作業を引き受けられる人はいませんか?」と言ってプログラム作業できる人を探してて片っ端から声をかけていたのに100人ほどもいる開発員の誰も手を上げないところに不義理を感じて、少々無理をして手を上げてしまったのが始まりだった。このとき勘違いしたのが、ディレクターはプログラム作業をできる人を探してはいたが、別に困っていたわけではなかったことである。

僕の貧乏性的な考え方では、この作業のために、また1人プログラマを雇うとすると、ワークスはさらに「60万円」かかってしまう、と考えた。しかし僕が頑張ることで60万円かけなくて済むのではないか、とも考えた。60万円は大金である。100円の寿司が6000皿も食べられる。1回に20皿食べるとすると300回お店に行ける。お嫁さんと2人で行くなら、1年間に3日に一度は回転ずしを食べに行ける、しかも2人で、凄い、60万円って凄い!

きっと感謝してもらえるはずだ、と思って快くいい顔をして、しかもいい声で返事した。しかし僕は破綻した。あと1人ワークスが60万円かけて人を雇っていたら破綻しなかった。僕は60万円という大金をディレクターに出させることを憂慮したが、この100人規模のプロジェクトにおける100万円がいかにちっぽけなものであるか、は最後に出来上がった説明書とスタッフロールの長さを見て充分に理解した。

少なくとも開発員だけでも100人いるということは、60万円x100人分の合計6000万円が「毎月」かかっているのである。それを1年続けることは少なくとも7億2000万円程度のプロジェクト予算は想像に難くない。さらに販売に関わる人や、宣伝に関わる人の人件費や、制作プロデューサーや、メインプログラマ(※1)の報酬は(外注契約で)毎月120万円以上と聞いた。さらに邪推すると社員の人月単価も60万円では済まないだろう。指紋認証とかそういうのがついてる立派なビルである。そう考えると少なくとも8億円以上かけて作られているプロジェクトの60万円っていうのは実に予算の0.075%に過ぎないことがわかった。3日に1度の回寿司を嫁と1年食べ放題に食べても全予算の0.1%未満なんである。



※1・・・メインプログラマー・・・過去にセガのバーチャなんとかっていう対戦格闘を作っていた3Dの第一人者。すごい人だった。口もすごい人だったが圧倒的な技術がそれを凌駕していた

愕然とした。60万円を得させてあげることなんかより、自分の与えられたプログラムをきっちり確実に終わらせることの重要性をはっきりと、痛いくらいに思い知った。0.1%未満の予算をケチって発売日を延ばしてしまうことの怖さ、8億円のゲームソフトの発売日を延ばして落胆させるユーザーの数、この仕事を発注したアメリカの会社から失うワークスの信用の重さに恐怖した。60万円が0.1%未満の予算になるようなプロジェクトが「ある」ことを知ってはいたが、実感したのは初めてだった。

結局、ナウローディングを専業で作っていた石橋くんが僕を見るに見かねて、バグ取りを手伝ってくれた。彼にも無理をさせていたら、この被害は吸収しきれず僕の失敗をリカバーしてくれる余裕はどこにもなかったと思う。ワークスのディレクターは100人規模の開発だけれども、一人一人の名前はもちろん、各担当の性格から技量などをよく覚えていて、それぞれをお昼ご飯に誘ったりして、実に人をよく見てプロジェクトを回すエリートタイプの人ゆえ、僕が落とした信用について、みのがせるほどずぼらな人ではなかった。


ナウローディングのプログラマー2

古い話で申し訳ないが、もともと僕は大好きだった6ボタン格闘ゲームの開発に携わることが嬉しくて大学卒業後そういうゲームの開発会社に入社し たんだけど、2年目以降はそういう開発の作業があまり回ってこずに、なぜかアドベンチャーゲームなどのプログラムが多かった。クリスマスなんかにいろんな 大作に混ざって並ぶ自分の関わったギャルゲーを彼女に見せて「これ!俺が作ったんだぜ!」って自慢した時に、ゲームのことをぜんぜん知らない彼女はまず驚 いてくれる。

「へー!すごい!この女の子すごくかわいいね?」 
「そうだね、それは有名なハンコ絵師が納期の2ヶ月後に描いた絵なんだよ」

「あ、このシナリオいいね!ジーンときた」
「あ、それは、納期を3ヶ月も遅れて提出してきたガモウさんのシナリオなんだ」

「この演出泣けるね、これは富雄くんが作ったん?」
「いや違うんだ、スクリプターが精魂込めて記述したんだよ」

「うわーこの音楽いいね」
「・・・・・(僕が音楽まったくできないことを知ってるのであえて説明しない)」

「じゃあ富雄くんは何を作ったん?」
「・・・・・ほら、ポーズボタン押したらメニューが出るでしょ?もっかい押したら閉じるやつ」

「・・・フーーン、あ、これね(彼女がパカパカやってる)」

「・・・あとほら、ガモウさんの描いたシナリオが文字になって画面に出るでしょ、それも僕!」
「あ、これってシナリオ書いたら出てくるものじゃないんだ、フーーン」

「・・・あ、あといっぱいバグ取ったよ」
「・・・ヘーーー」

「・・・・・」
「・・・・・・・・」

プ ログラマっていうのは目立たない時は本当に目立たない。マイコンベーシックマガジンに書いてあった「目指せ!スタープログラマー」っていうフレーズが耳に 痛い。僕がスタープログラマーじゃないから目立たないのか、いやでも、先輩は間違いなくスタープログラマーだけど、スクリプトエンジンとかドリームキャス トのレンダラーを作ったこととか秒間20000枚のポリゴン描画の凄さを彼女にどうやって自慢するんだろうか!?

聞いてみたら、彼女いなかった。

話を元に戻そう。

こ ういういきさつで、ナウローダーの石橋くんの「自慢できない仕事を積極的にこなして早く家に帰る」っていうスタンスがどうにももどかしかった。彼は家に早く帰ってシュー ティングをする。帰りにゲームセンターによってシューティングをする。時間があればシューティングを作る。関東にはゲーセンがいっぱいある、だから横浜に 来た。そういう人間だ。とにかくゲームで遊ぶのが大好きな男だった。しかしプログラマとしての知識や技術は決して潤沢ではなく、シューティングゲームを作 る技術もプログラマとしても10年前から実はあまり進化してない。それでも彼の創り出すシューティングやゲームは毎度僕の作るものよりも奥が深くて純粋に 面白い。同人ソフトとして販売している経緯からも「売る」ということに関して僕より常に一歩先に行っていた。

僕もゲーム好きとして少年時代はもとより、高校時代も青春時代=暗黒時代として過ごしたものである。周りの誰よりもゲームに詳しかったし、そこに加えてプログラムをたしなんでいることも驚かれたし、世の中Windows95になろうかというときにもずっとMSX-BASICから離れられずに雑誌に投稿し続けていること も驚かれた。しかしこの石橋という男とはゲーム好きのレベルが違った。詳しさも愛情もそして何よりその分析や洞察力といったゲーム作りの野生の勘も嗅覚も 全てが僕よりも優れていた。

僕と彼とはゲーム観や趣味について「ほぼ」同じ趣向を持ち合わせていた。だからその話の大部分は共感できるものだらけなのだが、細部に至っては当然一番好きなゲームタイトルを含めて異なる。その他、技法の解釈やゲームとしてのあり方については似ているけれども「全く同じ」ではないことから議論に発展して、理解しあえず「2人は考えがあわない」という難しい問題を常に抱えていた。具体的にいえば彼はシューティングが好きで、僕はアクションシューティングが好きだ、という違いである。ちょっとしか違わないけど、ドラゴンスピリットとメタ ルスラッグは全然違う。

そこが仕事観に関してもプログラマとして「ナウローディング」を専業とすることのカッコ悪さと、 「ナウローディング」で何が悪い?という考え方の違いから、なかなかあいいれることができなかった。僕は3つの仕事を終わらせるため連日終電ペースで作業 を進めないと終われないくらいの作業量になっているのをなんとかこなしていて、彼は19:00くらいに仕事を終わらせてゲームセンターに行くのを恨めしく 思っていたものである。その分、僕の方がオバキューのためになっていること、プロジェクトから稼いだ僕の信用は確実に彼よりも大きいという自信もあった。

しかし、しかしである、この立場が大きく逆転することになる説明が今回もできなかったね。
次回に続きます。

ナウローディングを作るプログラマー

さて、横浜でワークスに出向にいった僕だったが、

仕事の内容はマルチプラットフォームで展開されるスポーツゲームの開発で毎年続編が出る。昨年まではシステムクラスタの社員が横浜に出向して請け負っていた。なかなか評判が良かったこの社員は僕の後輩で、彼の名誉のためにもその後を継いだクラスタの先輩としては、必要以上に燃えていた。実は僕のシステムクラスタ時代には僕のあとになかなか新入社員が入ってこなかったこともあって、長らく僕は新入社員だったんだけど、4年後くらいに入ってきた彼は僕にとって目に入れても痛くないことはないけど我慢できるくらい可愛い後輩でもあった。だから恥もかきたくないし、かかせたくもなかった。

そう思って始めた関東での仕事は色々苦労した。今考えると関西との大きな違いは「信用」だった。関西だとよっぽどの風体でない限りは、たいていどんな奴でも信用してもらえたし、どんな奴が来てもなんとなく信用していた。残念ながら関東ではそれを実感することはできず地道に信用を高めることを余儀なくされた。大きな会社に行けばどこもそうなのかもしれない。考えても見れば当たり前のことで、できるかどうかわからないやつに一か八かのかけをふっかけるやつもいない。ただ、関西だと一か八かのかけができるのか、というとそうでもないのだが、2か4かくらいの賭けにでるようなチャンスは割とたくさん転がっていた。おかげでワークス関西ではうまく仕事を終えることができワークス関西の開発員や社長とは奇妙な信頼関係ができ僕の結婚式にも参加してもらう間柄になった。

横浜のワークスでは、スポーツゲームの開発だけで総勢100名(※)を越す大きな開発だったが、できるだけ多くの仕事をこなして信用を稼ぐことに躍起になっていた僕は、頼まれる仕事をできる限り調子のいい顔と声で、どんどん受けていた。対して僕の横で一緒に出向に来たオバキューの石橋くんは、1年かけてナウローディングを主体に比較的ゆるい仕事を定時(19:00)であがれる程度にこなしていた。

僕はもうこれが歯がゆくてしょうがなかった。せっかく一緒にたちあげたオバキューの信用を高めて自分たちの報酬を上げていくためのチャンスなのに「なんでこんな一生懸命じゃないんだろう!?」と思っていた。確かに、今一生懸命仕事を積んで毎日22:00まで残ってやらなければいけない仕事をやったからといって彼の手取りが25万から30万に上るわけじゃない。この仕事は毎月の報酬を会社が55万円で請け負っていて、各自の給与はそこから総額35万円に設定されているからだ。もちろん増額することもできるが、残った金額を法人税に費やし、貯金を貯めて「自社タイトルを作る」ためには、ワークスからの売り上げが上がらないことには計画が遠ざかってしまうことになる。

つまり、月額の売り上げが55万から60万に上げることができたのなら、給与としても5万増額する余裕が出てくるのであるが、金を生み出さない社員を一人雇うと、月額18万の金城くんの給与でも意外に余裕がない。まあもっとも、これは経営者側の都合であって、彼の都合には関係がない。関係あるとしたら「自社タイトルを作る」という夢をどこまで一緒に見られるか、そのためにワークスの信用をどれだけ短期間に得られるか?このパワーに尽きる。それなのに35歳になろうかという僕よりプログラマ暦の長いプロフェッショナルが「ナウローディング」を作る。まったく自慢できない開発作業をある意味情けなく思ったこともある。

だが、しかし。
だが、しかし、このプロジェクトが末期に至った時、仕事上の立場は完全に逆転する。

(続く)



※初めて「コンピューターの検索」が必要であることを知った。たくさんPCがありすぎると検索しないと見つけるのが難しい。そんなにたくさんのPCが稼働している現場が初めてだった。
 

金城くんがうつ病になった

色々あったが3年たった。大体手元には300万ほど残っている。
少ないながらもいよいよコンシューマーでのゲーム開発を始めようかという時だったが一緒に始めた仲間はだいたい2年おきに転職する人だったこともあり、きっちり2年目にいなくなった。

でもおかげで溜まった貯金が約350万。

あれ?1000万を目指してなかったっけ?

そうなんです。もともとはその予定だったんだけど、途中でプランナーが合流することになりました。
もともと、このプランナーとは初年度から一緒に活動を始める予定だったのだけれども、直前に急に連絡が取れなくなって合流を断念した。

1年後に連絡がつくようになって、きいた言い訳は「警察に捕まっていた」という。その後は、彼の父親がガンになり闘病生活を補助する必要から金策に走って、ついに僕を頼ってきた、と、そういう流れだった。

それだけでもう、今考えるとうさんくささがプンプンする男なのだが彼と僕の関係は、僕が前職のシステムクラスタの新入社員で彼がバイトとして入社してきた時から始まって、もう10年くらい一緒に仕事をしている仲だった。

最初は6ボタンの対戦格闘ゲームのチェッカーのバイトとして応募してきたのがきっかけで、当時社内で一番うまいとされていた僕を倒すことが採用される条件だったんだけど、僕はあっさり倒されて彼は採用された。その後は、一緒に仕事をするうちに非常に責任感のある男ということがわかってきて、僕のミスや忙しい時のフォローなどは彼に任せて僕はプログラムの仕事を進められるようになっていたし、安心して背中を任せられる彼となら僕の作業効率はは2.5倍増しになる気がしていた。

そんな彼だったので、前置きはさておいても、一緒に仕事できることの嬉しさに「やりなおそうぜ!」って大物ぶって迎え入れたうえに、彼のお父さんの治療費を60万円分貸した(実際に貸したのは会社だが)

その後、合流することで月間18万円の激安プランナーとして活動してもらうことになったが、残念ながら僕はすでに出向の身だったので、彼の仕事先を探すことが難しい。

出向させることができれば最も実入りが大きいのだが、何しろ経歴がバイトしかなく、とりあえずのとりえが「鉄拳」しかない彼をプランナーとして雇い入れてくれる場所はなく、それでも将来一緒にゲームを作ろうとおもうと、自社タイトルで彼をプランナーとして抜擢し1年で大成させる必要があった。

また、僕が未体験だった宣伝やショップへの営業といった活動も彼に任せることにして、自社でキャリアを積んだ実績を、将来の彼の経歴の足がかりにしようと考えた。彼の給与は神奈川のワークスから僕が稼いで、彼が自社タイトル「ガンラウンド」を創る。間接的に僕の抱いた夢のコンシューマソフトの第一歩をスタートさせた。


・・・・半年がたった


最初はものすごくいい滑り出しだったのだけれども、最近どうも、進捗が悪い。
言ったことができてない。おまけに避けるように僕の帰りを待たずに置き手紙だけで進捗を報告する。時間が合わず全くコミュニケーションが取れない。この時点で気づくべきだったが、やっぱり「一緒の場所で仕事をしない」というのは致命的だ。

いつSkypeで連絡してもその場で答えが帰ってくることはなく、20~30分後に「タバコを吸ってました」と帰ってくる。どうもおかしい。居眠りしてるんじゃないか?鉄拳しに外出してるんじゃないのか?など疑念が膨らむ。
業を煮やしたのは僕が取引先でさんざん叱られた日、おりしも給与が振り込まれる月末に彼の1ヶ月分の作業の成果を確認した時だった。

先月作った演出のXとYの値をひっくり返しただけのちゃちなものが提出されていて、2時間もあればできそうな内容を1ヶ月もかけたことに、どうしようもなく腹が立ってきた。
この出来損ないを半日かけてゲームに組み込むのも馬鹿らしいし、こんなちゃちなものに18万円もかけてしまった自分の愚かさに泣けてくる。しかし、一緒にいてこれではダメだと教えてあげる時間を取れるわけでもなく、彼の自主性だけでプランナーにしよう、という僕の皮算用にも問題があった。


次の日から作業はやめて、ものを売るための「営業」にでてもらうことにした。
やり方は全くわからないので、とりあえず近所のショップに片っ端から飛び込んでみて将来の自社の商品のアピールをしてきつつ仲の良い店員さんをつくる仕事だ。実際に販売になった時に1本でも多く関心を持ってもらうために、流通さんだけでなく、メーカーの営業がショップと仲良くなっていく大切さは、「イッポンマツ」ソフトウェアの社長(当時営業)が教えてくれた。

僕にも彼にもわからないことなら、彼のアイデアでなにか開拓することができるかもしれない。近所のショップに飛び込んでみて情報収集をすることをすりあわせて、具体的な方法は彼に任せた。彼のアイデアに僕はとても期待をしていたし、僕は手持ちの案件のマスターアップで大阪に出張しておりまったく管理できる時間を取れなかったこともあって、すべてを彼にまかせた。

結果に期待して1週間がたった。
そうすると、彼は


「河にそってショップを探してだいぶ歩きましたが、ショップらしきものが見つかりませんでした」という。


「?????」え?

「河にそって?」ってどういうことかわからない。
ショップってのは船か何かで送られて来たり、送ったりするメソポタミア文明的な何かなの?

「だいぶ歩いたんですけどねー」

苦労したらしい。
いちおう説明しておくと、2007年である。主力はXPだが、WindowsはVistaや2000が活躍していてスマホの黎明期ではあるがガラケーの中~末期で、もちろんネットだってある。ググってみればショップの情報などは、いくらでもでてくるし、近場に無ければ秋葉原が電車で30分のところにあるのだ。

もう愕然とした。こんなことに1ヶ月の1/4も使ってしまった。金額にして45000円。
なんだったんだ、この4万5千円は。。。エイジオブエンパイアなら川の周りの視界が広がって価値のある斥候になれただろう。でも、俺そんなのいらないし、誰も攻めてこないのに、なんで河をさかのぼって開拓する必要があるんだよ。調べろよ!調べて狙って、ショップに行ってこいよ!んで、どんな話が聞けたのか教えろよ!!
これなら嫁にうまい寿司でも腹いっぱい食べさせてあげたほうがよっぽどマシだった・・・・・!

超ガッカリした。

でも、それでも僕は彼を諦めきれずに、その無駄と、金と、自分がいかに苦労して彼の給与を稼いでいるのかと、ゲームを作るための必然性などをひたすら説いた。叩きこむと言ってもいい。おこがましいがこれぐらいダイレクトに言わないとダメだと思った。

彼の逃げようとする話の先に全部途中で引き返さざるをえないトラップを仕込んで話を聞いて、
彼の話の先に未来がないことを自ら悟らせ
引き返さし、
最終的に僕の話を受け入れることしか選択肢が残らないことを理解させ、
それ以外の道を全部塞いだ上で、
自ら僕の用意した道理を踏ませる。

僕は決して強要はしないが
情況証拠を小出しにすることで怯えさせ、
正論を固めて彼を誘導した。

そしてやっと本当に無駄な時間を過ごしてしまったことを後悔させる、彼自身も、自分の本当にやりたかったことから遠ざかっていることに激しく後悔していた。

そんなやりとりが1年半の間に4度、5度と繰り返されるうちに、彼の髪の毛は、なぜだか白髪交じりになってきた。彼は、本当に素直な人物なのである。しかし、驚くべき喉元の短さで、苦しかったことや後悔したことを
2日あれば忘れることが可能な人物でもあった。

それでも僕は彼を家族のように愛していたし、なんとか一緒に活動するに相応しいパートナーに育って欲しかった。真剣にゲームの事を考えて欲しかったから毎日のように真剣な討議をした。討議というのは僕にとって都合の良すぎる言葉かもしれない。毎日説教した。そして「自分に相応しいパートナーになれ」というのも極めて傲慢だったが何一つおこがましいとは思っていなかった僕は何か勘違いしていたのかもしれない。

そして彼がノラリクラリを始めると僕はやはり、すべての彼の言論の出口を塞いで彼の心の逃げるのを許さなかったし、小さなウソも見逃さずに徹底的に追求した。

そこで心を丸裸にさせて、彼の逃げようとした心や、隠そうとした真実を暴き出し、さらけださせて、糾弾した。

僕は真剣だったし、彼のいい加減さを直したかった。。加えて僕の言うのは正論だったから反論が難しい。今でも正論のどこが悪いかはわからないが、ただ相手を正論でガチガチに固めてしまうことで、相手は逃げ場をなくして最後は心が壊れてしまうことを今は知っている。

彼の場合は最後に「ウソつき」になった。

今日出来てなかった仕事は「明日までにやります!」といって、「今日はもういいから寝てから明日やりなよ」といっても、「いや1日でも早くやらないと申し訳なくて」といいながら家に帰っても、1%も次の日にやってこない。
理由を聞いたら考えているうちに寝てしまったのだという。1度や2度ではない。20回も30回もそれをやるうちに3ヶ月がすぎる。

遅刻してきて叱った後は、叱られた翌日とか、お客さんとの待ち合わせとか大事な日に限って「遅刻する」

その他は、これは退職後の話だが「借りた60万円は来月までに必ず返します」といって、約束の時間に来ない、
家を尋ねると居留守を使う。

最初は僕を「怒らそうとしているのかな?」とか「ピンチに陥れようとしてウソを付いているのかな?」と疑ったが、そもそもそういうやつではないし、そういう感じもしなかった。でも、なんとなくわかったのは、

理想の金城くんはとにかく良い返事をする。そして理想の回答に近づけるべくうっかり着手できないため、しっかり考える準備を始める、しかし、現実の金城くんは緊張が高まると寝てしまったり、遅刻してしまったり、課題をこなしてこなかったりと言い訳できない状態になる。そうなると、僕の「正論ガチガチ固め」で、こころが丸裸になって傷がつく、それを防衛しようとして、またいい返事をして緊張が高まる・・・・

なんかそんな風にみえた。

最後はひどいウソに呆れて嫁と二人がかりで会社から追い出した。真っ黒だった彼の髪の毛が白に近いグレーになっていたのが今でも記憶に残る。嫁は「毎日カップラーメンばっかり食べてたし。。。」と言ってくれるが、それもあるかもしれないが本質はきっと違う。僕がきっと彼の心を壊してしまったんだと思う。

少林寺をやっているセガの忍とか描いてたグラフィッカーが金城くんを見て

 「人を変えることはできないが、自分を変えることはできる」と、少林寺(※)の教えを教えてくれた。

 さすがセガ、話が深い。



でも、そのとおりだと思う。

どれだけ人の心を変えようとしても変えることはできなかった。
僕は2015年までに5人の心を壊してきたから今はわかります。


(※)全然関係なくて恐縮だけど、この元セガの友人に大切な言葉を残した少林寺の道場主は、負傷した弟子のために、その他の弟子からお金を集めてドロンした。もう何がなんだか・・・・・TT

1ヶ月に60万円を稼ぐ

そもそもゲームを作る時の人件費は一般的にはだいたいどれくらいの費用がかかるものなのだろうか。

プログラマーを1ヶ月雇うとだいたい約60万円かかる。
グラフィッカーでも60万円。プランナーでも60万円。みんなだいたい60万円くらいかかる。プログラマとグラフィッカーとプランナーをそれぞれ1人、合計3人のプロジェクトを半年間進めると、つまるところ800万円もの投資が必要になる。

このうち1ヶ月は準備に費やされる。
プラットフォームの研究調査、たとえばDirectXの下調べやPS4などの新しいプラットフォームの研究、プランナーで言えば、ゲームの仕様書策定や元になるゲームの調査という名目のゲームプレイを行う。最後には、デバッグに1ヶ月使うと実質のゲームの開発に使えるのは、実に4ヶ月。

つまり800万円のうち360万円はゲームの準備と保守にかかる費用となる。昨今のゲーム制作や、スマホゲーならこの後に、「運営」というフェーズが発生してお客さんの動向に応じたバージョンアップやサーバーの拡大、縮小などにともなうプログラム修正などが発生する。

コンシューマーゲームにおいては概ねBD-ROMに焼きこまれたゲームのバグ修正とか、新規DLCの開発などが
これにあたるがスマホに比べると規模は違えども、割合は小さい。少なくともこの360万円という金額はどう考えてもかかる。自分で会社を起こして社員を雇えば必ずかかる費用なのである。

そもそも、なんで人を雇うと60万円なのか?細かい話はまた別の機会に書こうと思うが、少なくとも「他の会社なら60万円を稼ぐことのできる人材」にあたるからなのである。ゲームプログラマや、ゲームグラフィッカや、ゲームプランナーはよそから仕事をもらって仕事をすれば1人当たり60万円で計上できる相場がある。

もっとも人件費の60万円は60万円かかるから60万円という相場があるわけで、その会社なりの家賃や電気代や開発以外に消費する人件費(営業や経理や総務など)を考慮するともっとかかる場合もある。たとえば1ヶ月に1000万円の利益を出す会社の従業員が10人で構成されていたら1人あたり100万円稼ぐわけなんで、これを60万円で貸し出すのは損をする。そんな会社にプログラマを貸し出してもらおうとすると人月100万円という値段がつくわけだから、それを下回ると自分の会社の仕事をやっていたほうがマシである。

バンナムさんとかスクエニさんとかはそもそも人を貸し出すようなセコい商売はしないが、したとしてもそこの人材は高くつくはずだ。

逆に自宅を作業場所にして社長一人でプログラムを書いているゲーム会社にかかる経費は普段の生活費と変わらない。大きく見積もっても30万円程度だろう。そこは勘違いをしてはいけない。つまり原価30万円のものを相場に合わせて「60万円です!」って言い切ると「高っ」って思われて敬遠されるし、厚かましい。

プログラマやグラフィッカはともかく、社長という人はどのように計上すればいいんだろうか?
会社をつくってわかったが、プランナーや、プログラマー、グラフィッカというのは労働者である。
社長というのは経営者で便宜上労働をしてはいけないらしい。たとえば工場でおばさんと一緒にパンを袋に入れる仕事をしていて給与の振り込みができなかった、とかいう労働にかまけて給与の支払義務を怠るのが問題あるのだと思って、社員にはそう説明してきた。なので社長という人は経営をすることが仕事になるらしい。

この経営をする人のコストは、経営をしていることで消費される。もっというと経営をしていなくても消費される。
つまりいてもいなくてもいいけど報酬だけはちゃんと払って、税金と各種健康保険の支払いなどを滞り無く勧める義務と責任を果たしてね!という存在なのである。義務と責任さえ果たしておけば、まねきねこでもできるのである。

オバキューの場合はどうしたか?

実際には僕がプログラムをするので代表をお嫁さんに任せた。
さっき、まねきねこにもできるといったけど、あれはウソだ。お嫁さんの忙しさを目の当たりにした僕がそのままいうと、やったこともない経理をするために、簿記3級を取りに行ったり、市がやってる無料の会計士さんに会える日になんども足を運んだりしながら税金のことを学んでいた。会社で毎月3万円ほどを払えば会計士さんなり税理士さんがついてくれるので、お金がある人は、お嫁さんに負担をかけることはオススメしない。色々大変だ。

僕たちはこの3万円が大金だったこと、1年間で36万円もすることを考えるとボロい中古車なら1台変えてしまうこと、100円ずしなら年間3600皿も食べられることから、自分でやることを採択した。

あと会社の登記などの手続きも必要である。これらは最初だけだけど、だいたい20~25万円くらいかかる。
絶対に必要な登記費用だけでも15万円、その他、安い会社専用のハンコを作ったり諸費用に費やすのが5万程度かかると思っておけばいい。これも実は30万円くらいだせば全部やってくれるサービスも有る。
書面に必要なことを書くだけでハンコもセットで送ってくれるので便利だ。これは「くじらソフト」を立ち上げるときに使ったので間違いない。探せばすぐに出てくるので特に明記しないが「会社設立」とかでググってみてほしい。

僕たちは全部自力で大変だったけど、ものすごく色々な知識は身についたし、お嫁さんと苦楽をともにするのは僕は楽しかった。お嫁さんは緊張と未知の知識を得るのにだいぶ苦労したようで「もうしたくない」といってた。
本当に苦労をかけて申し訳ないが、くじらソフト時代に、さらにもう1つ会社を立ち上げる必要がでてきてまた苦労をかけてしまったが。

話を元に戻そう。
1ヶ月に60万円稼ぐ、となるとそれなりに経費がかさんでいて、それで損も得もしない金額が60万円というのが相場なので僕が「オバキューでっす!さっきたちあげましたけど60万円です、借家でやってます」となると、それはそれで厚かましいし、なにか問題があった時に、立ち上がったばっかりの会社にはなんの保証もできない。もし、僕が病気で倒れた時のバックアップが嫁とまねきねこしかいない会社と、100人規模の会社でバックアップが99人いる会社で、どっちに60万円払うか問われたら、前者を選ぶ人はいない。

なので僕は以前属していたシステムクラスタを訪ねて、僕が倒れた時の保証を月5万円で請け負うことにしてもらった。つまり、他所の会社から60万円で仕事を請け負い、5万円を保証料としてクラスタにとってもらい、僕は55万円を受け取って、よその会社にシステムクラスタから「出向」という形で事実上の派遣をしてもらうことができるようになった。

仲介手数料が5万円というのは安い。僕が少なくとも1年うまく働けてやっと1ヶ月分(=60万円)たまる金額なので、僕が倒れた時に1ヶ月だけ保証が可能な金額である。それ以外はリスクでしかない。システムクラスタとは長い付き合いなので、そこのリスクを排除して考えてくれた、いわば祝儀みたいなもので送り出してくれたことになる。

同じ条件で、古い知り合いと2人でシステムクラスタを通じて関東にある(株)ワークスという100人規模のゲーム会社に2人で出向に行くことにした。2人で同じ目標である「コンシューマゲームを自社ブランドで出す」という、目標を決めてかかることができたのが幸いだった。自分の取り分は変わらないが、会社の貯金が増える速さが2倍になる。

給与は総額35万円で設定すれば、税金、社保その他を引かれて、手取り28万くらいになる。
会社が払う総額としては、社保の半額を負担する必要があるので、結局1人あたり40万円くらいの出費となる。つまり前述した55万円のうち15万円は会社に貯金できる。2人だと30万円だ。これを1年繰り返せば、360万円たまる。ただし、ここに法人税という税金がかかってくるのでこの利益の実に40%程度を持っていかれることを覚悟しておいてほしい。

つまり144万円ほどが法人税の対象になる。法人税とは会社用の所得税みたいなもので利益に応じて料率が変わる税金である。上限で40%くらいなので実際にはもう少しインパクトは弱いが半分近くが国に持っていかれるのである。まあ、でも、これは憂いてもしょうがない。日本で仕事をする以上、この治安で、この市場で、この豊かさを享受するならやむを得ない。しかし、国がセーフティネットや、中小企業支援で捻出している費用を不正受給している人たちのことを初めて本気で憎らしく思ったのもこの納税額を知った瞬間だった。

ゲームを創るために1000万程度を貯金しようと思うとこれを最低でも2年半は続ける必要がありそうだし、実際これを3年続けてみた経緯と結果をおって報告していこうと思います。

ガンヴァレルゲン

「厨購横浜ゼロノス」は、2015年末に株式会社オバキュー(仮)から発売される
2Dのロボットアクションゲームである。

ゼロノス自体は、1990年に発売されたメガドライブのロボアクションで
この続編が「厨購横浜ヴァレルゲン」として1994年に発売されていた。

僕は、このヴァレルゲンが本当に好きで好きでたまらなかった。
このヴァレルゲンとの出会いはホテルに設置されているスーパーファミコンでゲームが5種からセレクトできるものの1つで、このゲームのオープニングと近未来感、ロボットの挙動と、醸しだす演出に今までこのゲームを見逃していた愚を悔いた。

時は流れ2004年。そのゲームはリメイクされるという。
シューティングゲーム業界の雄「彩京」がリメイクするという、発売元はクロノスーツ。聞いたことないが、彩京が作るなら安心である。しかし、反対に僕の気持ちは荒れていた。

「このマイナーなヴァレルゲンをいつか大舞台に引き出してリメイクしよう!」と思ってプログラマになったのに誰かに先を越されていたこの事実!正直大ショックだった。片思いの子に振られた気持ちとまったく同じだった。でも考えて見れば見るほど当然でもあった。

「こんなにできの良い、器量よしのヴァレルゲンさんをみんなが黙って放って置くわけがない」
自分がADVゲーム開発なんかでちんたら腕を磨いている間に出し抜かれたマヌケさを心底恨んだ。

そして、今の嫁になる時の彼女に誕生日プレゼントとして買ってもらうことにした。
なぜなら、SFC版のヴァレルゲンは5年ほど前に付き合った別の娘に買ってもらっていたもので、それを後生大事にすることは、今の彼女に申し訳ない気持ちがあったから、その宝物をPS2版に変えようと思っていた。

くったくのない笑顔で誕生日用にラッピングされたPS2版の「それ」をさっそくDVDドライブに突っ込む「あの彩京が!」「あのヴァレルゲンが!」「2Dで!」「どんな魔法を見せてくれるんだーーー!」

「・・・・・」


「・・・・・・・・・・・・・・・」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


正直自分でもよくわからない衝撃に包み込まれた。

「どうしてこうなったんだ?」
「あれ?オープニングは?」
「このふがいないゼロ面はなに?」
「あのストライカーズの彩京?ですよね・・・?」

色んな思いが交錯する。そして「面白くない、カッコ悪い」と思う自分の感性が信じられなくて
2chの該当掲示板を開いてみた。

「やはり・・」

間違ってなかった。ヴァレルゲンのファンは荒れていた。大いに荒れていた。
しかし、僕はこのヴァレルゲンの悪口をいうことはできなかった。

なぜなら嫁が全く悪気なく(しかも僕が頼んで)プレゼントしてくれたものだからだ。
この「アレルゲソ」は認める訳にはいかない。しかし彼女がくれたプレゼントを冒涜するわけにも
いかない。この葛藤に2時間苦しんだ後、感謝の気持ちを込めてもう一度お礼を言った後、
プレゼントを買い取ることにした。

というより、プレゼントをなかったコトにして、お使いに行ってもらったことにした。

そして、もう一度2chを見る。すごい。すごい罵倒だ。
DVDを割った画像も出てくる。だんだん過激になってくるヴァレルゲン祭りの中で、私自身も
「お前たちはもう2度とゲームを作らないでください」というシンプルなファンレターを書いた。

後にこれを作った会社の社長と話をする機会があったが「あの時は本当に怖かった」らしい。
もともとがゲーム開発よりの人ではないので真に受けすぎなんだと思うが「夜道に気をつけろ」とか
「襲撃してやる」っていう当時でいうと少しやんちゃなファンレター、今で言う殺害予告に本当に恐れていたらしい。

そんななか「D.Jそぅび」とか「D.J.PIUQE」なる人物が「アレンジとはこうあるべき!」といった
楽曲のアレンジを2chに投下しだした。これは、初めて聞く「ヴァレルゲン」のアレンジである。
びっくりするくらいにかっこよかった。

そうだよ、これが聞きたかったんだよ!

感動した。PS2版に少しでも、この情熱があれば。。。
僕は、そのBGMをバックに闘う簡単なシューティングを作って、2chに投下してみた。
評判が良かった。PS2版で乾ききっていた喉はどんなものでも受け入れてくれる準備が整っていたのだと思う。

その後は、加速度的に進行した。「ヴァレルゲンⅡ」を作ることを目指して名付けた「VIIプロジェクト」として、マップの当たり判定、重力、ローラーダッシュや、背景仮絵なんかを追加してどんどん2chに投下した。

そんな折「ここはヴァレルゲンだけのスレッドじゃない」「ゼロノスのスレッドでもあるからヴァレルゲン制作は別でやってくれ」という提案が出て別スレッドに移動。当時からゼロノス派のやや閉鎖的というか、少々ネガティブな思考とは対立する趣もあり実は2015年までこの重圧には苦しむことになる。

しかしこの重圧から逃れた「VII」はPS2版で疲弊していた2ch住民とともに盛り上がってくれて、「銃装機兵ガンヴァレルゲン」として存続し、いわゆる2chの神が僕が仮絵として作ったものを今で言うMOD感覚で自機の絵や、敵の絵や、マップ、当たり判定、効果音などをどんどんいいものに作り変えて投下してくれた。

たくさんの2ch住人がチェッカーとしてプレイしてくれるおかげでバグ取りの楽しさも知った。
僕自信も神扱いされて気分よく超ハイテンションで、会社もやめて、ついに最終面まで出来上がった。

僕はこの時、システムクラスタという小さなゲームデベロッパーでプログラマをしていた。
アーケード用6ボタンの対戦格闘ゲームのドリームキャストへの移植とか、NESなんとかちゃんねるっていう会社のつくるアドベンチャーゲームの一部を担うプロのプログラマだったけど、自分の設計で周りの人に素材を描いてもらう責任感というか、うまくいった時の疾走感というか、この感覚が面白くてVIIはやめられなかった。

そしてその目に見えないつながりというか、そのつながりの先にいるのは間違いなく別のプロで会社という枠を超えて「ガンヴァレルゲン」でコラボする豪華さによだれが出た。

ファンレターも届いた。その人の名前は「五十嵐xxx」って書いてあった。
元ヴァレルゲンの開発者らしい。スタッフロールを穴の開くほど見てコピーしてきた僕が知らないスタッフ名なので多分偽名だ。今のPS2の惨状も知り、かつ元開発者の意思を受け継いで今盛り上がってくれることを嬉しく思うと書いてあった。

正直、これは嬉しかった。クローンゲームというのは、オリジナルに対する自分勝手な解釈を含むことも多々あり
ある意味冒涜することにもなりかねない。そこを(もしかしたら違うのかもしれないけど)元開発者と名乗る人が
僕のプロジェクトを気持ち的に後押ししてくれていることに勇気が出た。あとは、この版権を持つ人達が怖いところであるが、色々あって2015年現在、ヴァレルゲンの版権を持つ人たちと会うことができ、身勝手な行動を正式に謝罪した結果

「自分たちで作れないものを本当に好きな人達によるファンメイドで盛り上げていってもらえる、これからの作り方に期待している」

と、そういう趣旨の応援をもらうことができた。なにをかくそうこれを言ってくれたのはあの元クロノスーツの社長である、殺害予告メールに恐れていた、PS2版の開発元のあの社長である。あの社長が「ガンヴァレルゲン」を認めてくれた上に、「ゼロノス」のPS4への移植まで許可を出してくれた。PS4への移植については極めてビジネスライクな側面もあるが通常なら許可をだせなかった、というのをだいぶ後になってから聞いた。

なぜならあのソフトのファンによる凶行が怖いので、下手な移植をすると僕自身が怪我をすることを案じているようで、僕がVIIの作者だから(下手な移植はないかもしれない、と)許可を出してくれたらしい。それを後押ししてくれたのが、同社に在籍するSさんなんだけれどもSさん自身が「五十嵐さん」だったのかもしれない。

まあだからといって調子に乗るわけにも行かないが、そういう理由で今の「VII ガンヴァレルゲン」は、アンダーグラウンドだった存在がひょんなことから公式に黙認されたソフトになっている、

この「ガンヴァレルゲン」は今にして思えば大チャンスだった。PS2版を彩京が創るのと僕が創る。この圧倒的な力量差は、たとえが古いがボブサップと北尾光司くらい違う、いや北尾の方 がすごいか。そのボブサップがリングに上った後に滑って骨折したのである。観衆はすでに東京ドームに集まっている。その衆目が監視する中で動き始めた VIIには本当にヴァレルゲンが好きな人たちが集まっていて、貴重な意見が泉のように溢れ出てくる。ヴァレルゲンを創るには、こうあるべきだ、PS2版は ここがダメだった!と言った具合に、僕が将来やりたかったことの注意点が教科書のように情報として湯水のように溢れ出てくるのである。

その後、時の2chの神の一人が僕の立ち上げる会社「オバキュー」で作った「偽装傭兵ガンラウンド」をPSPで発売するのに協力してくれたり、この時のノウハウが、僕の30代~40代前半のエンジンになって「くじらソフト」を立ち上げることになったりと、とてもめまぐるしい7年が始まった。

※にたようなプロジェクトがあったので貼っておきます


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