さて、横浜でワークスに出向にいった僕だったが、

仕事の内容はマルチプラットフォームで展開されるスポーツゲームの開発で毎年続編が出る。昨年まではシステムクラスタの社員が横浜に出向して請け負っていた。なかなか評判が良かったこの社員は僕の後輩で、彼の名誉のためにもその後を継いだクラスタの先輩としては、必要以上に燃えていた。実は僕のシステムクラスタ時代には僕のあとになかなか新入社員が入ってこなかったこともあって、長らく僕は新入社員だったんだけど、4年後くらいに入ってきた彼は僕にとって目に入れても痛くないことはないけど我慢できるくらい可愛い後輩でもあった。だから恥もかきたくないし、かかせたくもなかった。

そう思って始めた関東での仕事は色々苦労した。今考えると関西との大きな違いは「信用」だった。関西だとよっぽどの風体でない限りは、たいていどんな奴でも信用してもらえたし、どんな奴が来てもなんとなく信用していた。残念ながら関東ではそれを実感することはできず地道に信用を高めることを余儀なくされた。大きな会社に行けばどこもそうなのかもしれない。考えても見れば当たり前のことで、できるかどうかわからないやつに一か八かのかけをふっかけるやつもいない。ただ、関西だと一か八かのかけができるのか、というとそうでもないのだが、2か4かくらいの賭けにでるようなチャンスは割とたくさん転がっていた。おかげでワークス関西ではうまく仕事を終えることができワークス関西の開発員や社長とは奇妙な信頼関係ができ僕の結婚式にも参加してもらう間柄になった。

横浜のワークスでは、スポーツゲームの開発だけで総勢100名(※)を越す大きな開発だったが、できるだけ多くの仕事をこなして信用を稼ぐことに躍起になっていた僕は、頼まれる仕事をできる限り調子のいい顔と声で、どんどん受けていた。対して僕の横で一緒に出向に来たオバキューの石橋くんは、1年かけてナウローディングを主体に比較的ゆるい仕事を定時(19:00)であがれる程度にこなしていた。

僕はもうこれが歯がゆくてしょうがなかった。せっかく一緒にたちあげたオバキューの信用を高めて自分たちの報酬を上げていくためのチャンスなのに「なんでこんな一生懸命じゃないんだろう!?」と思っていた。確かに、今一生懸命仕事を積んで毎日22:00まで残ってやらなければいけない仕事をやったからといって彼の手取りが25万から30万に上るわけじゃない。この仕事は毎月の報酬を会社が55万円で請け負っていて、各自の給与はそこから総額35万円に設定されているからだ。もちろん増額することもできるが、残った金額を法人税に費やし、貯金を貯めて「自社タイトルを作る」ためには、ワークスからの売り上げが上がらないことには計画が遠ざかってしまうことになる。

つまり、月額の売り上げが55万から60万に上げることができたのなら、給与としても5万増額する余裕が出てくるのであるが、金を生み出さない社員を一人雇うと、月額18万の金城くんの給与でも意外に余裕がない。まあもっとも、これは経営者側の都合であって、彼の都合には関係がない。関係あるとしたら「自社タイトルを作る」という夢をどこまで一緒に見られるか、そのためにワークスの信用をどれだけ短期間に得られるか?このパワーに尽きる。それなのに35歳になろうかという僕よりプログラマ暦の長いプロフェッショナルが「ナウローディング」を作る。まったく自慢できない開発作業をある意味情けなく思ったこともある。

だが、しかし。
だが、しかし、このプロジェクトが末期に至った時、仕事上の立場は完全に逆転する。

(続く)



※初めて「コンピューターの検索」が必要であることを知った。たくさんPCがありすぎると検索しないと見つけるのが難しい。そんなにたくさんのPCが稼働している現場が初めてだった。